ヒーリングアーティスト・画家 神田淳子(junko kanda)


学生、料理の講師、結婚そして離婚・・・。
一生懸命に生きてきたこれまでの
全ての経験があったからこそ、
今の画家としての私が存在する。

神田淳子の幼少写真
神田淳子の幼少写真
1950年代
戦後間もない時代に
建てた総ガラス張り・
プール付の豪邸。
(雑誌)日本建築や
フランスの新聞にも掲載
されるほど当時の
話題となりました。
お手伝いさんのいる豪華な家に住む、
典型的な"お嬢様"でした
子どもの頃はたいへん裕福な家庭で育ちました。
戦後間もない頃にもかかわらず、父は実業家として成功し、 私が3才の時に住んでいた家は、日本ではまだ珍しいプール付き---夏以外は池ですが(笑)---
部屋がいくつもあって、常にお手伝いさんが身の回り全てのお世話をしてくれました。
父はアメ車を所有し、私たち子供の服はすべてオーダー、食事は毎回レストランで出されるような豪華なものばかりでした。

中学になってお弁当を持って行くようになり、お手伝いさんが作る私のお弁当のおかずは彩りがきれいで、神戸・松阪牛のステーキとか松茸ご飯とか、
豪華絢爛(笑)。でも私は、周りの友達の全体がお醤油色をした母親の手作りのお弁当が金色に輝いて見えとてもうらやましかった。
で、気付いたのです。何か違うと・・・。それが原因で拒食症になりました。
料理に込められた思いというのは、とても大切な事です。
3人姉妹の写真
1956年の七五三
当時では大変珍しかった
半世紀前のカラー写真です。
3人姉妹の末っ子
親も学校の先生も手に負えないじゃじゃ馬娘
私は3人姉妹の末っ子です。二人の姉は頭がよくて品行方正で、親の言うことをきちんと守るいわゆる"優等生"で、なぜか私は姉たちとは正反対(笑)。
かなりやんちゃで、親の言うことも先生の言うことも全く聞きませんでした。
学校は平気でずる休みするし、家庭教師にはピアノやギターを弾かせたり、
ある時はビール(大ビン)を1ケース飲ませたりしました。
高校に入ると目立ちたがり屋の性格がエスカレートしてバンドのヴォーカルをやってみたり、まるで自由奔放な性格でした。
神田淳子(Jyunko Kanda)1
1970年
高校の学園祭
高校卒業後は裁縫や料理の学校に。そして父の会社の倒産
お帽子が好きで帽子のデザイナーになりたくて専門学校に行きたかったのですが、「大学ぐらい出ておきなさい」と母親に泣きつかれて仕方なく短大の
被服科を卒業し、その後料理の腕を上げる為に料理専門学校の調理師科へ
進学。 卒業後はナショナル料理教室で3年間講師を務めました。
そんな中、ちょうど私が20才の時に父の会社が倒産してしまい、暮らしぶりはかなり変わりましたね…と言うか、やっと当時の中流の家庭ぐらいの生活になりました。
神田淳子(Jyunko Kanda)2
ひたすら専業主婦として頑張って…その後、離婚へ
結婚後、夫の仕事の関係で初めて福岡に来ました。
私は静岡出身ですから、本州から九州に行くなんて言うのは文字通り島流しに遭ったような気がして、すごく抵抗がありました。
でも、結婚生活ではとにかく夫に尽くそうと自分なりに一生懸命でした。
母は全く家事がきらいで、私は母の手料理を食べたことがありません。今では家庭では料理を作らない一生を貫いた母を尊敬はしていますが・・・。その反動で家を守り3人の子どもを育てることだけに専念して、ひたすら専業主婦の道を歩む事に努力したのです。でも、そんな頑張りにもどこか無理があり、ある時、頭の中でプツンと糸が切れた音がして、17年後には離婚に至りました。
結婚生活の中で強く感じた"人の運命"が、私の絵の原点
本格的に絵に目覚めたのは結婚後しばらく経った頃。
その頃から、私は人間の運命ということに強く興味をひかれるようになりました。私は福岡で、家族と3LDKのマンションで暮らしていました。
でも、子どもの頃の広い家にくらべると、自分にとっての3LDKは、一部屋ぐらいの感覚でしかない、つまり料理を作り、食事をし、テレビを見て、寝るという生活全般を一部屋で過ごしている・・・そんな生活をしているのだと思えてきました。でもそれは決して、自分がみじめだとかそう言うことではありません。
ただ不思議でした。
父親の倒産も然り、結婚後の自分も然り。
たかだか3~4年で180度、自分を取りまく環境が変わってしまう人の運命って、人生って何なんだろう・・・と。
いつも心の中で幸福とはいったいどういうことだろう・・・と真剣に考えるようになりました。これが私の本格的な絵画への目覚めだったのかも知れません。
かんだじゅんこ/1953年、静岡県沼津市生まれ。福岡在住。大妻女子短期大学被服学科、服部栄養専門学校調理士科。以来手芸家・料理研究科、ヒーリングアーティストとして活動。
また「神田塾(福岡の未来を考える会)や、福岡のトップ企業経営者を対象に国際情勢の講演会を実施するなど、社会的活動も精力的に行う。
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●会員・役員暦 ほか
・「ミス日本コンテスト九州代表」選出審査委員(S63年~H6年)
・「神田塾(福岡の未来を考える会)の企画・開催(H6年~H10年)
・福岡ノーマライゼーションライオンズクラブ会員(H6年~H17年3月)
・学校法人 柳学園 きりん幼稚園 きりん保育園 理事(H6年~H17年3月)
・「ヒーリングミュージック 宮下富実夫」 コンサートを主催
 アクロス福岡シンフォニーホールに1300人の観客動員(H10年11月)
・初個展 ギャラリーおいし(H16年5月)
・第二回個展 ホテルオークラ福岡「ケンジントン」(H18年9月)
・第三回個展 「ドマーニ福岡」にて開催(H19年11月)
・福岡市福岡中央特別支援学校へ絵画寄贈(H19年12月)
・福岡ふじのくに静岡県人会 初代会長就任(H22年1月)